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広島高等裁判所松江支部 昭和32年(ネ)119号 判決 1958年7月30日

控訴人 安藤繁雄

被控訴人 沢田早苗

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張ならびに証拠関係は左記のほか原判決の事実摘示と同一であるからこれを引用する。

甲、被控訴代理人の主張。

一、控訴人主張の自動債権のうち、訴訟費用額確定決定に基づく分のみは存在を認めるが、その余の債権はすべて否認する。

二、仮に、控訴人主張の各債権があり相殺適状にあつたとしても、控訴人が相殺の意思表示をしたのが本件契約解除の効力発生の後であるから右解除の効力には少しの影響を及ぼすものでない。

三、被控訴人は、本件家屋の所有権を取得するとともに、前者たる浜本茂の賃貸人としての地位も承継したものであることを主張する。

乙、控訴代理人の主張。

一、控訴人は、被控訴人の前前主浜本ムメヨに対し契約成立と同時に一万円、昭和二九年一〇月六、一八、二三日の三回にそれぞれ五、〇〇〇円、三、〇〇〇円、二、〇〇〇円を支払つたので約定の前払家賃二万円は全額支払ずみであり、同年一〇月分の日割家賃一、三六〇円は同年一一月三日、同年一一月分および一二月分は同年一二月五、二九の両日各二、〇〇〇円を支払ずみである。

従つて右前払家賃二万円を昭和三〇年一月分以降の家賃に逐次充当してゆけば昭和三一年七月分までの家賃が支払ずみの計算となる。

二、被控訴人が控訴人に対し支払を催告した昭和三〇年五月一二日から昭和三一年一〇月三一日までの延滞家賃の計算は月額一、〇〇〇円の割合で合計金一七、六四五円が正当であり、その余の超過金額の催告は無効というべく、右のように昭和三一年七月分までの家賃金は前前主浜本ムメヨにおいて既に受領ずみであるからこれらの法律関係を承継した被控訴人として控訴人に請求し得べき家賃金は昭和三一年八、九、一〇の三ケ月分で合計金三、〇〇〇円だけである。

三、(相殺の抗弁)

控訴人は昭和二九年九月二四日浜本ムメヨと本件賃貸借契約をし、同年一〇月一〇日入居するにあたり家屋が荒建のままで内部の土壁も荒ぬりだけであつたから同人の承諾を得て、その造作費用は家賃金と相殺する約定のもとに、同年一〇月一五日本件家屋の二階内部の荒壁にベニヤ板張りをする等の造作を施した。その費用は(イ)太田材木店へベニヤ板代として金九六〇円(ロ)安富材木店へ木材代として金八八〇円(ハ)大工賃として金一、五〇〇円の合計金三、三四〇円を要した。右は被控訴人の前主が控訴人に対し決済すべきものであつたからその弁済期は当時すでに到来しており、相殺適状にあつた。控訴人は被控訴人に対し右造作費金三、三四〇円をもつて前記家賃金三、〇〇〇円と対当額について相殺する。

四、(予備的相殺の抗弁(一))

(イ)  被控訴人は控訴人に対し本件家屋の明渡請求訴訟(鳥取地方裁判所昭和三〇年(ワ)第一七五号)を提起したが敗訴し該判決は同年五月一〇日確定し、被控訴人の控訴人に対し支払うべき訴訟費用額は昭和三二年一二月五日同裁判所において金三、二〇五円と確定された。よつて控訴人は右債権をもつて前掲家賃金三、〇〇〇円と対当額について相殺する。

(ロ)  被控訴人の前主浜本茂は鳥取市役所に無断で水道設備をし、控訴人にはこのことを告げていなかつたところ、昭和三〇年一〇月中右違反工事が発覚され、控訴人が使用するにいたるまでの間の脱漏水道料金二、二七〇円を昭和三一年三月五日控訴人において立替支払つた。被控訴人は当時直ちに控訴人にこれを償還すべき義務があるので右金二、二七〇円の債権と前掲家賃金三、〇〇〇円を対当額について相殺する。

そうすれば、なお不足額七三〇円の債務が残るのであるが、僅か七三〇円の家賃の不履行を原因として家屋の賃貸借契約を解除することは権利の乱用であるから、被控訴人の本件解除は無効というべきである。

五、(予備的相殺の抗弁(二))

もし仮に、控訴人の以上の主張が容れられず、昭和三一年七月三一日までの家賃金の支払に不履行ありとすれば、前記三、の金三、三四〇円、四、の(イ)の金三、二〇五円、四、の(ロ)の金二、二七〇円を全部合計したものをもつて右不足金額と対当額について相殺する。

如上の次第で控訴人の延滞家賃金は被控訴人の催告当時に遡及して消滅するから右催告はその理由を欠き本件契約解除は無効となるので本訴請求は失当である。

丙、証拠。

被控訴代理人は、甲第一、二号証を提出し、当審において被控訴人本人の尋問を求め、左記乙号各証について同第一一号証の一、二のみ成立を認め、その余は知らないとこたえ、

控訴代理人は、乙第八号証、第九号証の一、二、第一〇号証、第一一号証の一、二、第一二号証を提出し、当審において証人浜本茂浜本玄良ならびに控訴人本人の尋問を求め、甲第一、二号証はいずれも知らないとこたえた。

理由

本訴請求原因事実は、控訴人に被控訴人主張の家賃金の延滞があり、したがつて契約解除の効力を生じたとの点を除きすべて控訴人の認めるところである。

そこで右延滞家賃金の有無について判断する。原審証人浜本茂(第一回)の証言により真正な成立の認められる乙第一号証、成立について争いのない乙第三、第六号証、原審ならびに当審証人浜本茂(原審第一、二回)、浜本玄良の各証言ならびに弁論の全趣旨を総合すると、控訴人は被控訴人の前主たる訴外亡浜本ムメヨに対し本件家屋を借り受けた昭和二九年九、一〇月頃に数回に分けて約定の前払家賃金二万円の一部として合計金一四、〇〇〇円を支払い、さらに控訴人主張の日頃同年一〇月分として日割計算により金一、三六〇円、同年一一月分として金二、〇〇〇円の支払がされたこと、昭和三〇年二月頃本件家屋の家賃金について当時賃貸人となつていた浜本茂と控訴人の間で前記前払家賃金の額に達するまでは従来どおり金二、〇〇〇円とするが、その後は金一、〇〇〇円に減額する話合が成立したことが認められる。右認定に反する当審における控訴人本人の供述は、前払の家賃金を約定どおり完全に支払つてあるのに、なにゆえ毎月の家賃金を順次支払つたのか前掲資料に対比して首肯し難く、また乙第八号証、第九号証の一、二については、かつて本件当事者間に家屋明渡請求事件があつたのに、これらが原審において提出されなかつた特別の事情も明らかでないし、その体裁、記載方法に照らしても真正な成立を認め難いので、右認定を左右するに足る証拠とはいえない。

被控訴人は昭和二九年一〇月二六日本件家屋に対して強制競売の申立をなし、競売開始決定正本は同年一一月四日債務者浜本ムメヨに送達され被控訴人が昭和三〇年三月二二日本件家屋の競落人となつたのであるから、前記家賃減額の合意は、右差押の効力発生後に成立したものでしかも被控訴人を害するにいたるので民事訴訟法第六四四条にいう利用および管理行為の範囲を逸脱するものであつて到底被控訴人には対抗し得ないものと解するのを相当とする。乙第二号証によると、昭和三〇年二月一九日本件家屋の畳、建具類が競売に付されたとき控訴人がこれを競落しているが、その代金は僅かに金二、三〇〇円であるからこれがため金二、〇〇〇円の家賃金を半額に減額することが正当とされるいわれはなく、右見解を左右するに足らない。従つて昭和三〇年二月分から家賃金が金一、〇〇〇円となつたことを前提とする控訴人の主張は、採用することができない。

そこで、前記前払家賃金一四、〇〇〇円を昭和二九年一二月分以降の家賃金に順次充当すれば、昭和三〇年六月三〇日までの家賃金が支払ずみとなることおよびその後被控訴人が催告した昭和三一年一〇月三一日までの延滞賃料が金三二、〇〇〇円に達することは、計算上明白である。

次に被控訴人が昭和三一年一一月一七日にした延滞家賃金支払の催告ならびに解除条件附解除の効力の点について判断するに被控訴人のした催告は金三五、二九〇円であつて右認定の延滞賃料より三、二九〇円超過しているが、この程度の過大催告はその効力に消長を及ぼすものでないことは勿論、控訴人が右催告を受けて少しの支払もしようとしなかつたことは明らかに争いがないのであるから被控訴人のした前記催告は有効であつて、本件賃貸借契約の解除は、昭和三一年一一月二五日右催告期限の経過とともに効力を生じたものというべきである。

最後に、控訴人の相殺の抗弁について言及するに、控訴人がいう如くその相殺の意思表示をするにいたつたのは、前記契約解除の効力が発生して遥か後になり、漸く本訴口頭弁論においてであることは明らかであるところ、右相殺により、債務消滅の効果が遡つて生ずるにいたることはともかく、既に発生した契約解除の効果にはいささかの影響も及ぼさないことはいうをまたず、被控訴人は本訴においてなんら金銭的請求をしていないから右相殺の主張についてはこれ以上の判断をしない。

なお、如上説示のほか、被控訴人がその一子と共に県営住宅に居住している為め、自己使用の目的で本件家屋を競落し、控訴人に対し切に家屋明渡を求めている事情は、当審における被控訴人本人の供述に照らしても明らかであつて、如上の控訴人の賃料不払を理由とする本件契約解除は、その権利の正当な行使と認めるのを相当とするので権利乱用のかどはない。

叙上の次第で、被控訴人が控訴人に対し契約解除により家屋の明渡を求める本訴請求は正当として認容すべきものであつて、同趣旨に帰する原判決の判断は相当であり、本件控訴は理由がない。

よつて民事訴訟法第三八四条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅芳郎 藤田哲夫 熊佐義里)

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